当クラブ出身のオリンピック金メダリスト「内村航平」選手。
写真とともに、その誕生秘話をご紹介します。
昭和64年1月3日生。
北九州市小倉南区で誕生3歳より幼児体操を始める。
高校から上京し、塚原直也選手にあこがれ、朝日生命体操クラブに入る。
その後、日本体育大学へと進み、コナミスポーツプロモーション部へ入社。
2007年(平成19年)ユニバーシアードの団体と種目別ゆかで優勝。2008年(平成20年)、初めてのオリンピック代表選考である二次予選では、二日間ともに冨田洋之を抑えてトップに立ち予選通過。最終予選のNHK杯体操選手権では優勝こそ冨田に譲ったが2位に入り、北京オリンピックの出場権を獲得した。
オリンピック本大会では、団体戦メンバーとして19歳で最年少ながら安定した堂々とした演技を披露、男子体操団体で日本の銀メダル獲得に貢献すると、その2日後の男子体操個人総合決勝では、苦手とするあん馬で2度の落下がありながらも他種目で23人を抜き、最終的には2位となって銀メダルを獲得した。日本人選手の個人総合でのメダル獲得は北京五輪代表監督の具志堅幸司がロサンゼルスオリンピックにおいて金メダルを獲得して以来24年ぶりであると同時に、10代での獲得は史上初である。
2008年(平成20年)、全日本選手権で個人総合優勝を果たす。それまで男子体操を牽引していた冨田洋之が同年末をもって引退し、名実ともに日本の新たなエースとなった。2009年世界体操競技選手権(ロンドン)の個人総合決勝ではゆか、跳馬、吊り輪、鉄棒の4種目で1位の得点を記録し、トータル91.500で2位に2.251点の大差をつけて初優勝を達成。20歳での獲得は日本勢史上最年少であった。2010年世界選手権(ロッテルダム)でも全種目で15点以上のトータル92.331点で2位に2.283点差をつける圧勝で、日本人初の個人総合2連覇を達成した。また同年12月の全日本選手権種目別跳馬で、新技「伸身ユルチェンコ3回ひねり」を成功させている。
2011年世界体操競技選手権(東京)は、社会人となってから初めての国際大会でもあったが、個人総合で全種目で3位以内の得点を記録し、国際大会自己ベストの93.641点をマーク。2位のP・ボイに3.101点の大差をつける圧勝で、世界選手権史上初の個人総合3連覇を達成した。種目別には跳馬以外の5種目に出場。ゆかではG難度のリ・ジョンソンを成功させて金メダルを獲得。内村のひねりが速く、審判がこれを見落としていたため、日本チームの指摘により得点が訂正された。ゆかの種目別金メダルは1974年(ヴァルナ)の笠松茂以来34年ぶりの快挙。鉄棒でも銅メダルを獲得した。今大会での個人総合3連覇によりロンドンオリンピック代表選手に内定した。
2012年のロンドンオリンピックは、各国のメディアから個人総合「金メダル確実」と評され臨んだが、予選で鞍馬と鉄棒で落下するミスをしてしまう。男子団体では5種目で安定した演技を見せるも、最終種目鞍馬のフィニッシュで倒立から着地に移行する際に態勢を崩したため倒立の得点が認められず、一時は4位になったが日本選手団の正式な抗議により得点が見直され2大会連続の銀メダルを獲得した。しかし、インタビューでは「4位でも、2位でも、僕は、あまり、変わらなかった、と思う」と話し、笑顔はなかった。過去に例を見ない不調に個人総合金メダルへの心配する声も上がったが、団体でミスをした鞍馬を15.066点で乗り切ると3種目目の跳馬で完璧な着地を見せ16.266点の高得点で首位に立ち、全6種目を全て15点台以上でまとめるなど安定した演技を取り戻して最終得点は2位に1.658点の大差をつける92.690点をマークして金メダル。2大会連続のメダル獲得は前述の具志堅幸司以来28年ぶり。これまで長崎県は九州で唯一個人、団体種目を通じて金メダリストが出ておらず、内村は長崎県出身者として初めての金メダリストとなった。種目別決勝のゆかでは、一人目の演技者として登場し、15.800点で銀メダルを獲得した。
2013年世界体操競技選手権(アントワープ)の個人総合では、予選で91.924点を記録して2位に2.394点差をつけてトップ通過。決勝でもただ一人全種目で15点台かつ3位以内を記録する安定した演技でトータル91.990点をマークし、2位の加藤凌平に1.958点差をつけて個人総合4連覇を達成。種目別では平行棒で金メダル、ゆかと鉄棒で銅メダルを獲得した。
2014年世界体操競技選手権(南寧)の団体総合決勝では5種目を終えた段階で日本がトップに立ち、その後日本が最終種目の鉄棒を先に終えて2位の中国の結果を待つという状況だったが、中国が鉄棒で高得点をマークして日本を逆転したため、自身初の世界選手権団体優勝はならなかった。個人総合ではただひとり全種目で15点以上の演技(ゆか、跳馬で1位)を見せて91.965点を記録し、2位のマックス・ウィットロックに1.492点差をつけて連勝記録を5に伸ばした。この個人総合での金メダル獲得で世界選手権での通算獲得金メダル数が7個目となり、監物永三と中山彰規が持っていた日本人選手最多記録に並んだ。また銀と銅をあわせたメダル獲得数でも15個目となり、監物永三と並んで日本人最多タイとなった。この後、種目別鉄棒で銀メダルを獲得し、世界選手権の獲得メダル数は日本人歴代最多を更新する16個となった。
2015年世界体操競技選手権(グラスゴー)では、10月26日に出場した予選4種目目のゆかで競技開始前に前演技者の採点で10分以上待たされ、競技中にも前方宙返りで頭部を強打するアクシデントがあったが、個人6種目計でトップの90.654点をマーク。団体総合でも日本は358.884点で中国を抑えトップ通過。28日の団体総合決勝では鉄棒のカッシーナで落下するなど内容は完璧ではなかったが、6種目計で91.531点をマークし、世界選手権の団体総合では37年ぶり(オリンピックも含めた世界規模の大会では2004年アテネオリンピック以来)となる日本の金メダル獲得に貢献した。世界選手権での通算金メダル獲得数は8個となり日本人選手歴代単独1位となった。30日に行われた個人総合では、ゆかと跳馬で1位の得点をマークするなど、全6種目で5位以内に入る安定した演技で92.332点をマークし、2位のマンリケ・ラルドゥエト(キューバ)に1.634点の大差をつけて連覇を6に伸ばした。11月1日にも種目別鉄棒で自身初の金メダルを獲得。この大会で3個の金メダルを獲得し、自身が持つ世界選手権での日本人選手最多メダル獲得数記録を金10、銀5、銅4の計19個に伸ばした。また、オリンピックで獲得したメダル5個と併せた世界大会でのメダル獲得数も24個となり、監物永三と並び日本人選手歴代最多タイとなった。
2016年のリオデジャネイロオリンピックでは、予選の鉄棒で落下のミスにより種目別決勝を逃し個人総合では2位で決勝に進出。団体では全6種目に出場し、全てにおいて安定した演技を披露し、体操日本としてはアテネ大会以来12年ぶり自身にとっても悲願であったオリンピックでの団体金メダルを獲得。個人総合では4種目を終えた時点で、ウクライナのオレグ・ベルニャエフと0.401差の2位につける。5種目目の平行棒で0.901差に広がり逆転が厳しい状況になったが、最終種目の鉄棒で15.800の高得点をたたき出し、合計点92.365でベルニャエフを0.099差でかわし逆転で個人総合2連覇と団体との2冠を達成。オリンピックの個人総合連覇は歴代4人目、日本人では加藤沢男以来44年ぶりの快挙となった。